自殺するのもかなりの勇気が必要ですよ。僕が自殺に失敗したときの話。

子供の後ろ姿
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生きていくのって大変ですよね。

つらいことや苦しいことがたくさんありますし。

死にたい気持ちになっても全然おかしくないです。

その気持ち、すごくわかりますよ。

実は僕にもそんな時期がありました。

そして実際に行動に移したこともありました。

でも人間って、悲しいことに死にたいと思ったからってそんなに楽には死ねないんです。

ここでは僕がそのことを実感することになった、自殺に失敗したときの話を書いていきます。

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苦しまずに死ぬための自殺セット

段ボール

いきなりですが、この段ボール、何だと思いますか?

ただのぼろい段ボールに見えますが、中には少し変わったものが入ってます。

首吊り用のロープとお薬です。

何年も前の話ですが、自殺を考えていた頃に用意した自殺セットです。

ロープは2chの掲示板を参考にして買いました。

情けないことにこれから死ぬっていうときにも2chを頼りにしてたんですよ。

このロープはクレモナロープというやつで、首を吊るために最も適していると紹介されてたものです。確か3000円ぐらいだったと思います。

販売した方はまさかこんなことに使われるとは思ってもいなかったでしょうね。

申し訳ないです。

一緒に入っていた薬は心療内科に通っていたときに飲まずにとっておいたものでしょう。

ロキソニン、ロキソプロフェン、パキシル、サインバルタ。どれも飲みかけになってます。

お酒で薬を飲んで、意識が朦朧としてきたところで首を吊る計画だったわけですね。

薬はアルコールと一緒に飲むと、吸収しやすくなって効き目が増しますからね。

この薬はおそらく自殺を図ったときに飲んだ状態のままだと思います。

ちょっと調べてみたら、ロキソニンとロキソプロフェンは風邪薬なんでしょうか。それなら心療内科で処方されることはないと思いますが、なぜそんなものがあるのかは不明です。

自分では冷静かつ理性的に死に臨んだつもりでしたが、こうしてまばらに飲まれてるところを見るとけっこう動揺してたのかもしれないですね。当時の精神状態が窺われます。

実はこの箱、かなり久しぶりに開けました。

ラベルが剥がれてしまっていたので、いつ頃のものだったのか正確な日付が分からなかったのは残念でした。

自殺を決意した引きこもり時代

僕は以前、引きこもり生活をしていました。

学校を卒業してからも四年ぐらいしてました。

学生の頃から若干不登校気味ではあったので、そのままの流れで引きこもりになった感じです。

引きこもり生活をしていた頃はひどい状態でした。

夜中に奇声は発するわ、突然ボロボロ泣き出すわ、将来への不安に耐えきれず悲鳴をあげるわ、コンプレックスのニキビが治らなくて絶望するわ、独り言の口癖が「死にたい」だわ、もう人間としてかなりだめな領域までいってました。

このときが死にたい気持ちが一番強かった時期です。

容姿も醜く、友人もおらず、学歴も低く、職歴もなく、それらを補える突出した能力もない自分は、死んだほうが確実に楽になれると思ってました。

だからそのうち自殺を決意するようになったのも、いたって自然で時間の問題だったのかなと思います。

苦しまずに死ぬ方法を調べたり、自殺に最適な場所を考えたりといったことは以前からしていました。

ただ身辺整理に手をつけ始めたのは、死ぬことを心に決めてからでしたね。

自殺の方法に首吊りを選択

自殺方法には、やはりオーソドックスな首吊りを選びました。

いろんな情報を見ていると、首吊りが一番手軽で苦しみも少なそうに思えたからです。

大分前に流行っていた完全自殺マニュアルにもそう書いてあったらしいですしね。

首吊りは、定型、非定型にわかれます。

定型は首を吊ったときに地面に足がつかない体勢。

非定型はその反対で足がつくような体勢のことです。

なので首吊りでよくイメージされる樹海での方法は定型ということになるでしょう。

僕は非定型を選びました。

自分の部屋でも簡単に実行できそうだったからです。

もちろん部屋で死ぬと家族に迷惑をかけることになるだろうなとは考えました。死んでまで迷惑をかけるのはいかがなものかと。

でもホテルで死んでもホテルの従業員、樹海で死んでも近隣住民や捜索する警察の人といったように、どこで死んでも結局誰かに迷惑はかけてしまうんです。

それに引きこもってる時点で既にかなりの迷惑はかけているので、むしろ家族にしてみたら死んでくれたほうが厄介の種がいなくなっていいんじゃないかと思ってました。

なので仕方ないかと思い、一番安心できる自分の部屋で死ぬことにしたわけです。

計画していたのはドアを使った首吊りです。

首吊り家の中で首吊り自殺どうやってすんのよから転載

こんな感じでドアの裏側からロープを回して首にかけます。

この方法を知ったときはびっくりしました。

自殺ってこんなに手軽にできるのかと衝撃を受けましたね。

恐怖に負けて自殺に失敗

しばらくたったある日、家に誰もいないタイミングを見計らって実行しました。

ちなみに首吊りをすると、死んだあとに腸の内容物が漏れ出てしまうという情報を得ていたので、いつでも実行できるように食べ物はあまり食べないようにしてました。

実行に当たって、まず手元にあった薬を飲みました。

経験のある方もいるかもしれませんが、心療内科でもらう薬を飲むと思考が緩やかになる感覚があります。なんというか、余計なことを考えなくさせるような作用があるんです。

このときも頭がぼんやりしてくるのを待ってからロープを手に取りました。

ロープをドアにセットしたら、あとは首にかけるだけです。

首吊りは普通に考えると苦しそうです。それは酸欠で呼吸が出来ない状態が続いて窒息死するイメージがあるからです。

でもうまくやれば、脳に行く血流を止めることで、すぐに意識を失うことが可能ということでした。つまり苦しまずに死ねるってことですね。

ただそのためには、頚動脈洞という首にある部位を圧迫するようにうまくロープを当てる必要があるんです。

頚動脈洞がどこにあるのかは全然知りませんでしたので、ネットの画像を参考にしながらロープを首にかけたのを覚えています。

恐怖はもちろんありました。

お酒と薬で思考が鈍っているとはいえ、これから自分の人生を終わらそうとしているわけですから当たり前です。

よく聞く「これでやっと楽になれる」みたいな安心感はまったくありませんでした。ただただ恐怖でいっぱいでした。

少しずつ首に体重をかけていくと、確かに血流が滞っていく感じがありました。

呼吸の苦しさはあまり意識にのぼってこなかった気がします。

ただ頭に流れていた血が行き場をなくして、どんどん顔に溜まっていくのを感じました。

首から上だけがどんどん熱くなっていって、このまま続けていたら破裂するんじゃないかと思うぐらいでした。

結論からいうと、僕はその頭が破裂しそうな感覚が怖くなって首からロープを外してしまいました。

ロープに体重をかけていたのはだいたい一分かそこらぐらいだったと思います。

いかにもあっけない終わりかたですね。

このしょぼい感じが僕らしいといえばらしいです。

ロープが切れて失意のうちに失敗とか、たまたま帰ってきた家族に間一髪救助されるとか、せめてもう少しそういったドラマチックな展開があったほうが華がありました。

でもアニメ版の「NHKにようこそ」で山崎君もいっていたように、僕らひきこもりにはドラマチックな幕切れなんて似合わないですから。

後悔すべきは死ねなかったことであって、失敗の仕方がかっこわるいことじゃないですからね。

意気込んで自殺を決意した身からすれば意思が弱すぎてちょっと恥ずかしいですが、正直に話すとこんな終わりかたになってしまいました。

だから僕の自殺未遂は家族に発覚することもなく、誰も知らないうちに始まって誰も知らないうちに終わったのでした。

自殺未遂して気づいたのは、本当は生きていたかったのかもしれないということ

自殺に失敗してからは、死ねなかったことについてかなり考えました。

死ねないということは、これからも生きていかなければならないということです。

これからどうやって生きていくのか、もう一度試してみる勇気は残ってるか、そんなことを考えました。

実はロープに体重をかけているとき、頭にどんどん血がたまっていく恐怖と戦いながら感じていたことがありました。

それは、「もしこれが失敗して後遺症が残ったらどうしよう」という心配です。

今回は運良く後遺症みたいなものは出ませんでしたが(あまりにもチキンすぎたのが逆によかったのかもしれないです)、いうまでもなく脳は人体で最も重要な器官ですから、脳が酸欠になれば後遺症が起こる可能性は充分考えられました。

そうなった場合、その後の人生はさらに苦しいものになるでしょう。

僕にはその恐怖を乗り越える勇気がありませんでした。

死ぬ死ぬいいつつも、後遺症が残ったら嫌だと考えてる時点で、まだ現実を諦めきれてなかったんですね。

自殺を実行する前は死ぬことしか考えられませんでしたが、未遂に終わってからは実は自分がまだ生きることに期待してるんだってことに気づかされてしまいました。

もちろん死んでしまいたいという気持ちも本物でした。でなければ実際に行動に移したりはしませんからね。

でもそれと同じぐらい誰かにこの苦しい状況から救ってほしいと願ってたんです。

結局のところ、心の底で僕は誰かの助けを求めていたんですね。

自分ではどうすることもできないなら、あとは誰かになんとかしてほしいと縋るしかないんですよね。たとえその誰かがどこにも存在しないことが分かっていたとしても。

自分を救ってくれる誰か、自分が前向きに生きていけるための何か。

そんなものはどこにもないんです。

苦しまずに死ぬための自殺方法すら見つからないんだから、自分の苦境を救ってくれる奇跡的な何かなんてどこにもあるはず無いんです。

それでもその何かを求めて、情報の片鱗を求めて、意味もなく夜通しネットを探しまわったりするんですよね。

それは実は、まだ生きることへの希望を捨て切れていない証拠でもあったんです。

自殺に失敗してからそういうことに気づきました。

死っていうのは一番分かりやすい逃げ道です。

だから苦しい状況に立たされたとき、自然とそっちの方向に考えがいきやすいです。

でももし逃げずに現実に立ち向かうことができるのであれば、そのほうがいいですもんね。

僕はまだそっちの方の期待を捨て切れていなかったってことです。

この気持ちに気づいたことは、自分のなかではとても大きなことでした。

人は簡単には死ねないようにできている

どんなに死を望んでいたとしても、簡単に死ぬことはできません。

不思議ですよね。

環境に適応して進化してきた生き物なんだから、死んだほうが合理的だと脳が判断したら体の痛覚なんか遮断してくれてもよさそうなものなのに。

でも心は死にかけてるのに体は全然健康なままなんです。

だからいざ死のうというようになっても、痛いし怖いし苦しいしんですね。

死ぬためにはそのハードルを超えていかなければなりません。

並大抵の精神力では完遂することはできないです。

自分の意思とは無関係に産まれてきて、自分の意思では簡単に死ぬこともできない。

つまり産まれてしまったからには、どんなに辛くてもどんなに苦しくても、強制的に生きていかなければならないってことです。

理不尽ですよね。

でもそれが現実なんです。

もしかしたらあなたは本気で死にたいと思ってここを見ているのかもしれません。

でも残念ながら、それをやり遂げるためにはすごい勇気が必要になるんです。

楽な方法はありません。

あったとしても、おそらく海外でやってる安楽死ぐらいでしょうか。

でもそれを受けるにも厳しい条件が課されていたはずです。

死ぬことを選択できても、実行することとはまったく別の話です。

それは決して簡単にはいかない茨の道です。

だから、少しだけでもいいので生きていくことについて検討してみませんか?

最後に

普通の健全な人には、自殺というワードはどう映るんでしょう。

やっぱりそんなことを考えるのは心が弱いからだとか思われるんでしょうか。

死にたいなら早く死ねって感じでしょうか。

少なくともまともなイメージではないですよね。

きっと死にたいなんて考えたことすらないって人もたくさんいるんでしょう。

そういった人たちは、僕やあなたとはまったく違う人生を生きてるんでしょうね。

死にたいほどの苦しみがあることも絶対に理解できないでしょう。

僕は死にたい欲求を持つことは何もおかしなことではないと思っています。

いまになって思い返してみても、引きこもり時代に僕が自殺を考えたのは当然の結果だったと思います。

引きこもりからは抜け出したい、でも自分が社会に馴染める自信がないなら、残るのは死ぬという選択だけですから。

たいていのニートや引きこもりは最終的にこの思考にたどり着くんじゃないかと思ってます。

いまは自殺なんて考えられないと思ってる人でも、同じ状況になれば同じ事を考えるんじゃないでしょうか。

僕は自殺に失敗しました。

しかも、かなりしょっぱい失敗でした。

でもたとえ失敗だったとしても、実行に移した経験のある人はそんなにいないんじゃないかと思ってそのときのことを書くことにしました。

自殺には並々ならぬ精神力が必要です。

生存本能に反した行動を、理性の力で取らなければならないんですから。

最後までやり遂げた人は本当にすごいと思います。

僕は自殺肯定派でも否定派でもありません。

だから死にたいと思ってる人がいても、絶対にやめるべきだとは思ってません。

苦しんでいる本人にとって、死んだ方が楽なのかそうでないのか、そんな判断はできないからです。

ただ、人生なにが起こるかわかりません。

たったひとつの出来事で人生が一変することがあるのも事実です。

だから、まだ生きることに対して少しでも期待を持てているのであれば、できるだけその気持ちを大切にしてほしいと思います。

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