根暗コミュ障の苦悩

僕は根暗だ。
しかもコミュ障でもある。
そしてどちらもかなりの重症である。

世の中には根暗やコミュ障で悩んでいる人はたくさんいると思うが、僕はそのなかでもかなりひどいレベルであることを自覚している。
もし根暗コミュ障検定という資格試験があったとしたら、1級もしくは準1級は固いであろう。

この根暗とコミュ障という問題に、僕はずいぶん長い間悩まされてきた。
コミュニケーション至上主義の現代社会は、重度の根暗やコミュ障にとって、まるで生き地獄のような世界である。

この記事では、まず根暗とコミュ障がどのような苦悩を抱えているのかについてお話したい。
僕の実体験を記したものでもあるので、いかに社会不適合者であるのかを感じ取ってもらえたらうれしく思う。

根暗の苦悩

楽しい気持ちになることがない

常にテンションが低い。寝起きにお笑い番組を見ても明るい気持ちにはなりにくいように、根暗は楽しさに対して感受性の低い状態が一日中続いている。

例えばお酒を飲んだとき、人が変わったように陽気になる人がいる。
あるいはお酒を飲まなくても、話が盛り上がったり何かうれしいことがあったときに、普段よりも口数が多くなったり声のトーンが上がったりする人がいる。

それはおそらく普通のことなんだろうと思うが、根暗の僕にはそういった経験がまったくない。
気分が昂揚すること自体が極端に少ないのである。

そのため周りの人がみんな楽しそうに笑ってるのに、自分だけ何が楽しいのかわからないなんてことがしょっちゅう起こる。
常に平常心といえば聞こえはいいが、単に人として大事な部分が欠けているだけである。

笑うことがない

楽しい気持ちになることが少ないので、笑うことも少ない。
普段形作る笑みといえば、出来の悪い愛想笑いだけである。

心の底から笑ったことがないし、そもそも笑い方を忘れている。
長年無表情を続けてきたせいで表情筋が死んでいるため、喜怒哀楽が表情から読み取りづらいのも気色悪さに拍車をかけている。

表情の変化が乏しいと、例えば頑張って冗談をいったとしても冗談とは捉えられず、本気でいっていると勘違いされたりするなどいろいろとコミュニケーション上の問題が多い。
というより無表情で話をする人はたいていの人にとっていい印象にはならない。
何を考えているかわからない人間は、気持ち悪がられても仕方がない。

表情が死ぬのと同時に心のなかの喜怒哀楽も一緒に死んでくれればよかったのだが、そんなに都合よくはいかないらしい。
さぞかし端から見ると不気味な人間に映っていることだろう。

明るい人と接すると余計暗くなる

よく笑う人。よくしゃべる人。声が大きい人。話好きな人。

通常であればそういった人たちに対しては良い印象を抱くことが多いのかもしれない。
ただ根暗にとっては逆になることもある。

根暗が上記のような人間と遭遇すると、圧倒的な正のオーラを浴びて、体力をガリガリ削られてしまうのだ。
太陽のように明るく眩しい人間と根暗はまさに光と影の関係で、たとえ相手に悪気がなかったとしても、圧倒的な社交性を見せつけられることで自分がいかに社会不適合者であるかをまざまざとつきつけられてしまうからだ。

人生を楽しく生きる明るい人たちと接触することは、 自分がどうしようもない社会不適合者であることを再確認してしまうのとともに、 うまくコミュニケーションを取れない自分に対しても失望するという、二重の闇に堕ちてしまう要因となる。

その結果ますます根暗が加速し、負のスパイラルに嵌まっていくことになるのだ。

休日はいつもひとり

基本的に家から出ない。
家が好きというのもあるが、外出にかなりの抵抗があるというのが大きい。
用事もないのにふらっと散歩に出るなんて考えられない。
という訳で仕事以外で家から出ることはほぼない。

外出に対して抵抗がある理由はいろいろある。
たとえば以下のような理由だ。

  • 休日に外出用の服に着替えることすら面倒
  • 一緒にご飯を食べるような人もいないので、外に出てまでやるべきことがない
  • 外には人がたくさんいる

嘘みたいな理由だが、すべて僕が実際に感じていることだ。

人づきあいに苦手意識があるので、無意識的に人と接することを避ける傾向にある。そこにはコンビニの店員さんと接することも含まれる。

たくさんの人で賑わってる場所も苦手だ。 すぐに離れたくなる。
そんなものは通勤中の満員電車だけで十分だ。わざわざ休日に自分から進んで人混みに飛び込んでいくことはない。

根暗の人には引きこもりの素養のある人が多いと思う。
僕も実際に引きこもりだった時期がある。 このあたりの詳細もまた別の記事で書いていきたい。

いつも下を向いて歩いている

学生時代に容姿をバカにされて引きこもった経験があるせいで、それから顔を隠すようにうつむいて歩く癖がついてしまった。
その習慣が十数年経ったいまでも続いている。

下を向いて歩いていると、たまに目の前の水たまりに反射して女子高生のパンチラを拝めることもあるが、健全な方にはオススメできない。

もしあなたが常にうつむいている人間を見たらどう思うだろうか。
おそらくまともな人間には見えないはずである。

この他にも、

  • 広い空間では端っこにいないと落ち着かない
  • 絶対に写真には写りたくない

というような性癖もある。
根暗は意外と気難しいのである。

とにかく自分に自信がない

何をするにも自信がない。だから決断力もない。

人の目を見て話せないし、何かを聞かれたとしても断言することができない。
常におどおどしていて、優柔不断。
そのくせ他人からどう思われているのかだけは異常に気にしている。

「いまの発言はどう思われたかな?」
「こう答えるべきだったかな?」

心のなかでは頻繁にひとり反省会が行われているが、その反省が活かされることはない。

いつも人の目を気にしてビクビクしながら生きているため、かなり挙動不審である。

コミュ障の苦悩

自分から他人に話しかけられない

必要に迫られるまでは自分から他人に声をかけることがない。というかできない。
会話や世間話に苦手意識があるせいで他人との接触が恐怖でしかないからだ。

職場の隣の席の同僚に対しさえ、その性質は適用される。
声をかけるときには、なんて声をかけようかとあらかじめ脳内でシュミレーションをしてからでないと落ち着かない。しかしたいていシュミレーション通りに事が進むことはない。

当然交友関係は広がらないため、友達はいないし新しくできることもない。
自分の殻に閉じこもって、ひたすら見えない敵と戦い心と身体を削っている。

ちなみに僕は以前勤めていたブラックな職場で「自閉症」というあだ名がついていた。

雑談が辛い

雑談や世間話が絶望的にできない。
まず話題が思いつかないし、頭の中も真っ白になる。

僕は職場の自分の席に立て札を立てる妄想をたまにする。
書かれている内容はこうだ。

「 事務的な会話なら可能」

仕事の話ならある程度はできる。だからなんとか職場でやっていけている。
なぜ仕事の話はできるのだろうか。

それは質問と回答が、必ずセットで用意されているからだ。
事務的な会話は算数と変わらない。

1+1は2だし、3×3は9だ。
こういう思考ならコミュ障にもできる。

でも雑談を楽しめる人の思考は多分こうじゃない。
1+1は田んぼの田だし、3×3は サザンクロスだ。

雑談には発想や連想というものが必要なのだ。
それは与えられた回答ではなく、自分の感性からひねり出すものだ。
この部分が苦手だと、雑談は難しい。

そしてこの感性はこれまでとれだけ人と触れあってきたかで決まるのではないかと思っている。
だから経験を積めばコミュ障も多少は改善されるのかもしれないが、雑談自体が辛いコミュ障が場数を踏もうとするのは無理がある。新しいトラウマが増えるのがオチだ。

雑談すらできない自分に対する絶望は並大抵のものではない。
この感覚は実際に経験したものにしかわからないだろう。

会話の途中ですぐに沈黙が訪れる

これはかなり多く経験する問題だ。
そして最高に気まずい瞬間でもある。

コミュ障相手にも気を利かせて話しかけてくれる人もたまにいる。
だが申し訳ないことに会話が続かない。すぐに話すことがなくなり、次の話題を必死に探すも特に思いつかず、なんか変な空気になる。

せっかく声をかけてくれた心優しい相手に対して非常に申し訳ない気持ちになるとともに、早急にその場を立ち去りたくなる。

こちらが気まずさを感じているということは、相手もまた同じである。

誰も得をしていない。
たいてい相手は何かを察したようにそそくさと離れていく。
そして二度と僕に声をかけてくることはなくなる。

そういった苦い記憶はコミュ障には腐るほどある。
それらが積み重なり、会話に対する苦手意識がどんどん膨れ上がっていく。

根暗やコミュ障の闇が深いのは、こうした負のスパイラルにすぐに嵌まり込んでしまうところだ。
そういった悪循環にハマってしまったとき、抜け出すのは容易じゃない。ハマっていることにも気づかない。そしてたいていは堕ちるとこまで堕ちていく。

コミュ障は社会の底辺にへばりついて生きているのだ。

咄嗟に言葉が出てこない

予期せぬタイミングで声をかけられたとき、あなたは正確に対応できるだろうか。
僕は自信を持って断言できる。
無理だ。

「あー」とか「あっ」とか「はっ」とかそんな意味のない言葉ばかりを口にしてしまう。
慌てすぎてどもったりもする。というかキョドってる。

これは反射神経の問題とはまた別の問題だ。
脳が適切な言葉を選び出そうとする過程のどこかに障害があるのではないかと思っている。

情けない声を出してしまったとき、誰にも気づかれないところで僕は顔を赤らめている。

いつの間にか孤立している

職場や学校で、気がついたらいつの間にか孤立している。
そんな経験がある人も多いのではないか。

たとえば異動や転職など、新しい環境に身を置くことになるケースは多々あるが、そんなときにいつも感じることである。

周りの人たちは新しい環境に急速に溶け込んでいくのに、なぜか自分だけはそれができない。
近くにいる人たち、毎日顔を合わせる人たちとすら仲良くなれない。
そのための方法がわからない。

おそらく方法を考えている時点でもう何かが違うのだ。
人間関係は理屈で攻略していくものではない。

理屈でどうにもならないものだからこそ、どうしていいのかがわからなくなるのだ。

まとめ

根暗とコミュ障の苦悩を紹介してきたが、いかがだったであろうか。

もし共感してしまったという方がいたら、あなたは自分が社会的に見て結構ヤバめな人間だということを覚えておいたほうがいいかもしれない。

本来根暗とコミュ障は別のビョーキであるためそれぞれの項目を設けてみたのだが、もしどちらかで悩んでいるとすれば、もう片方のほうも同時に発症しているケースが大半ではないかと思う。

これらの症状を持ってしまうと、人生の難易度は途端に跳ね上がる。
しかも改善することも難しい。お先真っ暗である。

それでは僕たちはどのように生きていけばいいのだろうか。
どのような方針を持てば、少しは心穏やかに日々を過ごせるのだろうか。

そのあたりを考えるために、次の記事では、社会不適合者が生まれてしまう原因について書いていきたい。

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